朝靄の煙る公園の中、わたしは公衆電話へと歩く。
ランニングをしているジャージ姿のおじさんとすれ違う。遠くで犬の吠える声が聞こえた。
お兄ちゃんは今頃ぐっすり寝ているだろう。
ボックスの中に陣どり、財布の中から掻き集めたありったけの十円玉と百円玉を、緑色の電話機に投入する。
ぴ、ぽ、ぱ、ぽ。ダイヤルを押す手がかすかに震える。
とるるるるるる。
とるるるるるる。
…誰か出るだろうか? 出なかったらそれでもいいや。
期待して、迷って、やっぱり受話器を戻そうとした時に――
かちゃり。
硬貨の落ちる音がした。
『はい、柏木です』
半年ぶりに聞く、千鶴お姉ちゃんの声だった。
みるみる内に目元に涙がたまっていく。
『もしもし? どなたですか?』
ちょっと眠そうな声、全然変わっていない。元気そうだった。
「お…お姉ちゃん」
数秒間の沈黙。
『はつね、初音なのっ!? あなた、どうして…い、今どこにいるの? 耕一さんは一緒? ちゃんと御飯は食べてるの? 身体は壊してない?』
「そんないっぺんに聞かれると困るよ」
わたしは苦笑する。
『無事で…よかった…』
電話の向こうで、お姉ちゃんの声は震えていた。泣いているみたいだった。
ごめんねお姉ちゃん、心配かけて。わたしは元気でやっています。
かちゃり。
「十円玉でかけてるから、先に用件だけ伝えるね」
『ねえ、初音、あなた、』
「わたし、今日から柏木初音になりました」
『…初音?』
いけない。これじゃなんだかわからない。
「えと、そうじゃなくて。わたし、耕一さんと結婚しました。夫婦になったんです」
かちゃり、かちゃり。
今度の沈黙は長かった。
「それでね、割と元気にやってます。えーと、だからあんまり心配しないでね。全部終わったら、必ず帰るから」
『初音…』
「うん」
『今、しあわせ?』
「うんっ」
わたしは即答する。
お姉ちゃんは笑っていた。
『いつでも帰ってきていいんだからね。毎朝、あなたと耕一さんの分も、食器を用意して待っているから。お布団もいつでもちゃんと干してあるから』
ぴーぴー。警告音が鳴る。
「お姉ちゃん、あのね、あのね」
かちゃり。
つー、つー、つー。
最後の硬貨が切れた。
わたしは受話器を戻し、ボックスを出た。
冬の朝の冷たい空気を吸い込みながら、ゆっくりと深呼吸する。
わたしは、涙を振り切って。
そして、一歩を踏み出した。